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2010年04月12日

龍馬伝 ふたりの京

(時代劇風に) そちも悪よのう、半平太。
そして、以蔵は哀れ。

武市半平太、どんどん悪どくなっていきますな。


先週の前回本放送はほとんど見られなくて、昨日の前回再放送分と今日と、2日連続で龍馬伝を見たのですが、続けて見ると余計に彼の悪さが際立ちます。

史実でも半平太は以蔵を相当見下していたようですが、龍馬伝でもそういう設定でストーリーが進行していますね。

土佐勤皇党の主要な役には以蔵をつけず、重要な会合にも出席させない。

さんざん惨めな思いを味わわせたあとで、「お前が大切だからこそ、役には就けなかった。お前には変わらず今のままでいてほしかったから、勤皇党を離れても、自分の一番そばにいていろいろな話を聞いて欲しかったから、役には就けなかったのだ」 などと甘いことを言って、以蔵の心を掴む。


人間は、すごく酷いことをされた後で優しくされると、ついほだされてしまいがちですが、それをしたのが以蔵が前々から慕っていた半平太ならなおのこと。

かわいそうなくらいにイチコロです。


以蔵をそんな状態にしてから、自分が懸念していることを打ち明け、以蔵に 「ではその懸念を解決するために、邪魔な人間を自分が手にかけましょう。先生(半平太)は何も知らなかったことにしてもらっていい。自分が勝手にやったことにしてくれていいから。」 と自分から言わせる・・・。

おかげで以蔵は「人斬り以蔵」への道をまっしぐら。

ま、以蔵もあまり知性や見識の高い人物ではなかったと伝わっているので、物事や人に対する洞察力のなさが結局自分の首を絞めてしまったとも言えますけども。


しかし組織と名の付くものには、その性質によっては汚れ役が必要になることがあるにしても、これで半平太も立派なマキャベリスト。

現代の実社会でも見かけますな、こういうタイプ。

龍馬伝のこの先のストーリーでも、あの調子でえげつない権謀術数ぶりを見せつけてくれることでしょう。



ところで龍馬伝の中で、志を持って脱藩した竜馬に対してよく言われる言葉に 「龍馬はワシらとはもう考えが違ってしまった。」 「だから龍馬はもうワシらの仲間でも幼馴染でもなんでもない」 「龍馬はワシらを裏切った」 などというのがあります。

藩士が 「藩」 という単位で物事を考えるのが当たり前だった時代なので、余計にそういう狭量さが前面に出てしまうとは思うのですが、ただ、例えばもし、現代に龍馬のような人間が現れたら、日本人はどんな反応を示すでしょうか。

土佐勤皇党の志士たちが吐く、上のような台詞がつい出てくることがないでしょうか。


よく、「いまこそ龍馬のような人材が求められている」 なんてことが言われますが、実際に龍馬のような人物が目の前に現れたら、日本人がやることってもしかしたら、真先に足を引っ張ることだったりしないかなー?(悲観的過ぎますか?)

自分も日本人の一人なので、あまりこういうことは言いたくないですが、自分と違う考えや価値観を持った人を受け入れたり、認めたりするという土壌が、日本という国や日本人にはあまりあるとはいえないですよね。

だから人と違うことをやっている、考えていると思われると、奇異な目で見られたり、下手をすると、頭から否定されてつぶされることもありますわな。


そうならないために、組織などでは根回しをすることが必要になってくるわけですが、これをちゃんとうまくやらないと、ちょっと声の大きな人がこれはダメだ、と言えば、みんなで否定してかかり、これがいい、と言えば、ろくに状況把握もしないうちにみんなで支持してしまう。

これが今の 「龍馬伝」 の土佐勤皇党の状態ですが、日本人って、今もこれと同じようなことを結構やってたりしませんかね? 



中国の故事成語で、こんなものがあります。


  「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」
  (えんじゃく いずくんぞ こうこくのこころざしをしらんや)


意味は「つばめやすずめのような小さな鳥に、大鳥(鴻鵠)の大きな志など分かるだろうか、いや、分かるわけはない」です。


秦の時代、陳勝 (ちんしょう) という人が若かりし日、農民として貧しい生活を送っていたのですが、あるとき立身出世の志をもっていることが人に知れることがありました。

その時に「お前のような貧乏人がそんな立派な身分になれるわけが無い」と人から言われ、陳勝が嘆いて言った言葉が「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」でした。


この時代、秦王朝に対する反感が非常に高まってきており、陳勝は後に秦王朝に叛旗をひるがえして乱を起こすことになります。(十八史略、陳勝呉広の乱)

乱は陳勝が存命中には成功しませんでしたが、その乱は結局、秦を滅ぼすきっかけを創り、後に劉邦 (りゅうほう) が漢を建国し、中国を統一する礎となっていくのです。


いまでこそ龍馬という人間は、陣勝が言ったような鴻鵠 (大鳥) であったと日本人にも思えると思いますが、龍馬の死後150年も経った時代の人間が幕末の歴史を俯瞰的に見ているからそう思えるのであって、同じ時代の同じ時間を共有していると、人間は必ずしもそう客観的な目を持てるとは限りません。

とくに集団行動が得意(好き)な日本人は、人と同じ行動をとることによって仲間意識を再確認し、安心しようとするところがありますから、ちょっと人と違う考え方をする人を排除しがちです。

その結果が、龍馬のような人材がせっかく現れた時に、その足を引っ張るようなことでなければいいと思いますな (自分も含めて、ですよ)。

時代が変わっても、日本人の精神的風土はあまり変わっていなかったりしますから。
posted by 新説好き at 00:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 龍馬伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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